ぐ戒

起き抜けには、おれの部屋の本を掴んで倒しちゃったと謝られたのでなんでだよ苦痛を分割払いしてるのかなあおれの人生はよなどと愚痴っていたらじゃあ一括と分割どちらがいいかとか神様みたいな質問されたのでこいつ意味分かってんのかそんなの用途によるだろと思う夢を見た。苦痛を分割払いのくだりはマジでおれが言いそうなので困るが、まあおれの夢だからおれが言いそうなことを言っていても何も問題がないな。あと、雨が降らない限り出かけ続けると宣言したら保母ふたりにすごいと褒められまくる夢を見た。保母さんに褒められたい欲求か? おれはああいう流れの作品はそれほど好きじゃないのだが、しかし雨が降らない限り出かけ続けるのは当たり前だし、この面においてはやはり普段のおれが出ていると言わざるを得ないな。余りにも夢が思い出せなかったのでできるだけ脱力したらうっかりウトウトしてしまって、折り紙の蛇腹の夢と、もっと叩いてと依頼する夢を見た。どっちも覚えてないし後者は内容がひどい。
朝起きてとりあえず国旗を掲揚した。毎度言っているがこれは右翼的行動ではなくて天邪鬼的行動だ。相変わらず家の周りに国旗を掲げている家などひとつもない。みんな興味がないんだろうか、ないんだろうな、右翼とか左翼とかではなくて本当に興味がなくて、そもそも家に国旗がねえ家庭も多そう。でも家の中に国旗がないといざ上皇崩御したときとかに困るんじゃない? これは府警発言ではありませんが。国旗を掲げたあとは清らかな気持ちになったので、どこかでもらったイッセーミヤケのバンダナを洗浄していた。バンダナって色が出てくるから洗わずに使うことは自殺行為なのだが、このバンダナは真っ白に黒字でイッセーミヤケと書かれているだけなのでその必要がない、その必要はないがとりあえず洗った、黒いインキがドバーと出てきたら嫌なので。しかし、やはり、このバンダナは白すぎる。頭に巻いていたら患者っぽくなりそうだ。それで部屋に戻って雨雲レーダーを確認するとなんとなくヤバそう。今はまだだが午前中はにわか雨が降ったりしていたらしいので国旗が心配になる、心配な状況で国旗を掲げ続ける理由って何? 考えてみると不思議だったので早々と国旗を引き上げて室内掲揚にした。これには出かけてる途中に雨が降ったら困るという理由もあったんだが、それ以上に、その場合、おれ以外の家族全員が国旗に興味がないという理由から放置されることは確実だという理由がある。とにかく色々理由があった。国旗掲揚にはなんだかんだでリスクが伴う。
インターネットニュースを見ていると、千葉で屋根剥がれたひとたちはいっぱい報道してもらえてるようだった。被害を受けた当初はなんか報道が少ないと怒っていたけど、これで、本人たちが満足しているかどうかは別として要求は満たされたわけだ。おれはでも、そのニュースのあとに見た、家に車が突っ込んできてめちゃくちゃになった、というニュースとどうしても比較してしまう。多分このニュースは一日か二日報道されて終わりだろう。おれがこの被害者だったらそれこそブチ切れると思うんだよね、こっちはマジで報道されてないぞ、と。結局この辺が倫理の限界だろうし、おれがでかい災害より孤立した個人の打撃の方がより強い災害であると考える根拠でもある。ここまで考えて空を見ると暗い。めちゃめちゃ暗い。通り雨というレベルではなさそうなぐらい暗い。そこでさっきは国旗の話を出かける予定と結び付けて考えていたが、これはアレだ、出かけられないのでは? とビクビクし始めた。とにかくベトナムの死んだ新生児の遺体の運び屋のニュースを見てこころを落ち着けていたが、状況は何も変わらない、むしろ悪化している気がする。こうなるとイライラしてくるのがクロカワってもんだが、とりあえず意志を貫くため出かける準備をする。準備が完了して窓の外を見るとポタポタ降ってきている。おい、おいっ! ふざけているのか? 天気さん!?!? となって、すべてが終わってしまったので出かけるのをやめてしまった。
インターネットニュースに戻る。遅刻と残業の関係とか逆にしたまんががバズっているようだ。そういうのって古くからある行動で、二年ぐらい前も外国人に言わせる態で言及していたはずだ、日本人は出社に厳しく退社に甘い、逆なら云々みたいなやつ、外人に語らせるの好きなひとって一定数いますからね。そのように前からよく言われてることなんだが、やっぱりそこはまんがにするとバズり方が違うということなんだろう。しかし、「残業」と「遅刻」の捉えられ方が逆だったら、を考えても面白いけど、「労働」と「生殖」の捉えられ方が逆だったら、を考えても面白い!!! ということは言及しておかねばならない。これは単純な話で、生殖が義務だったら最悪だけど、じゃあなんで労働なら義務にしていいの? ってやつだ。労働の倫理が最悪だということが理解できるでしょ。労働が最悪なのってそれ以外にも風土的な面ってやつがあって、例えば説教野郎がいる、これは頼まれてもないのに説教を垂れる、昔からよくいるタイプのならず者だ。今の例でいうと労働をしてない者の前にしゃしゃり出て、労働をしてないと生活できなくて死ぬとか、世の中は厳しいなどといった漠然としたことを教えてくれ、じぶんだけで散々気持ちよくなって帰っていく。おれはこういう輩がこんな泥まみれの娯楽を弄んで喜んでいる姿を見ると本当に悲しいんだが、それはともかくとしても、世の中の厳しさを教えてくれる奴ってのは、これまでもこれからも世の中を生きやすくしてくれない奴だから、厳しさに打たれて真っ先に死ねって思っちゃうんだよな。だって何とかしてるひとは厳しさを教えるんじゃなくてその厳しさを俺がなんとかするとか言うでしょ。まあベーシックインカムがもらえるようになったらそんな娯楽的説教を受けてやってもいいけど、ベーシックインカムがもらえるようになったら世の中厳しくなくなるからそんな説教は存在できなくなっちゃうんだよね。