ぐ戒

シリーズになってるパンフレットのうち一冊が足りないのでじぶんの部屋を探していたけど見つからないしそういえば押入れに入れた気がすると思ってガサゴソやったけどやっぱり見つからないし天袋に置いてあるのかもしれないと思ったが虫が出てきそうだし嫌だなあと考えつつ椅子に乗って開けてみると中から虫どころかカッコつけた男が出てきていやあハハハとごまかしてきたしなんなんこいつと思いながら中を除くと天袋の中は整理されていたのだがなんか低いテーブルとかドリンクが配置されていたのでまさかここに住んでいたのかと引きつつもとりあえず弄ってみたのだがやはりパンフレットは見つからず体を入れれば見つかるのかもしれないけどそしたらうまく踏み台の椅子に着地できるか分からなかったし怖いのでやめておく夢を見た。この天袋はじぶんの家にあるものだったし、踏み台の椅子にうまく着地できるかなみたいな不安感は、古書店でよく感じるやつだ。起き抜けには、コの字型パネルに囲まれる方式で能力をもらうのは嫌だなぜならこの方式は奥から能力をもらっていくのでその間ずっと近所のガキ共に晒し者にされるような状況になるからと主張する夢を見た。なんかギリ、コの字だけ覚えている。
オリンピックで偉い役を務めているひとが、昔コントでホロコーストのヤバいネタをやったという出来事を受けて解任されてた。寝て起きたらそうなっていた。面白いことになるだろうなと思っていたけどさすがホロコースト、スピード感があるな。小山田圭吾が解任じゃなかったのに小林賢太郎が解任だったのはやっぱ政治問題のウェイトが大きかったからなんだろう。ホロコーストについては本当にネタにしちゃダメなものだというニュアンスは知っているし、触らぬ神というもので知ろうとも思わない。なんかそういうことがあったなということだけはフワフワ知ってる感じだ。別にホロコーストをネタにしちゃいけないからって、ホロコーストについて知らなければならない、そういう義務があるわけではないからな。なまじ知っているからネタにするんであって、そもそも知らなければネタにすることもない。原爆の話とかもそうだけど、そりゃバカにはしないですよ、こっちにだってそれなりの倫理がありますからね、でも知らなきゃならない義務はないですよね、という気持ちでやっていってる。だってそういう話って、聞いて抱く感情が固定されてるじゃん、強制されているというか。悲惨な戦争の話を聞いて、ニコニコしてちゃいけないというのは分かる、でも悲しむことを前提とした話は見たくも聞きたくもない、そして義務ではないからそういう話には触れない。笑い話って別に笑わなくても、悲しんでもいいじゃん。そういう自由な感情の発露が担保されている話じゃないと嫌なんだよね。あとグローバル社会だからといって世界中の悲しみを引き受けたくないという感情もある。グローバル社会じゃなければ近所の悲しみに接するだけで良かったのに、今じゃ世界中の悲しみに接するのが当たり前となっている。そのくせ、喜びや楽しみの話にはそういう強制力はない。すると悲しみの摂取量が多くなって精神が壊れてしまう、と考えている。だからおれは遠くの悲しい話も特に摂取しないようにしている。
今日は新竪に行ったんだけど、目当てにしてた本は売れてしまっていた、非常に残念だ。まあ背表紙だけ見てヒョイヒョイ持っていくような本に対する愛情のまったくない人間が来ているんだからしょうがないよな。そう思いつつ、漢詩の本を一冊購入した。帰宅後、なんか遠くのテレビから公共交通機関は混雑しましたみたいな声が聞こえてきた、別に違法じゃないからいいけど街頭インタビューを受けたこういうひとたちに説教を受けるのはムカつくな。毎回言ってるけどこれはムカつく。そりゃ、外に出なきゃいけないひともいるんだろう、それは分かるよ。でもテレビのインタビューに答えて世間に物申しちゃう奴は何なの? それは別に仕方ないことじゃないだろ。インタビューに答えるようなバカは外出するな。あとサングリアを初めて飲んだ、おいしかったな、スペイン最高! 最高だったので酩酊してたけどランニングもしちゃいました。 夜には、受刑者が刑務官を人質に取って、ほかの受刑者のためにピザを要求したという話を見た。昔話か? まあおれはカスなのでカステラサンド食ってましたが……。