ぐ戒

帰り道の信号に引っかからないように速度を調節しつつしかも知り合いを置き去りにしないようにして急いでいたら前を塞いでいた女は急にレズカップルとなってイチャイチャし始めたのでその隙を狙って追い越し先に自宅に到着して待っていたけど誰も呼びに来ないので窓から外を見てみたら向かいの家にその知り合いの自転車が二台とも止まっていたのでああハブられたんだなと納得する夢を見た。また自転車の夢を見ているなという点はともかくとしても、またハブられる夢を見ているんだな。あと、午前三時頃誰もいない小学校の前の道路で寝転がってぼんやりしていたら毛だらけの猫が来たので嫌われないように目の焦点を合わせないようにして撫でていたらいつの間にか午前五時になっており子供らがワラワラ登校してきたけどいくらなんでも早くないかと思いつつ退散する夢を見た。このときの明け方の学校がやたらきれいだったのを覚えている。あとあと、ファンタジー世界でも二日間風呂に入ってないやつは咎められるものだと知る夢を見た。夢はこれだけだが、起き抜けの夢は締めがメモをしたという夢だったので忘れてしまった、ふざけるなよ。
新社会人が社会に放逐される日らしい、まったく知らなかったし特に気を遣う必要もないと思ったがネタ的にも本気にしてもアドバイスをくれてやるのがいいらしい、でもなんかそういう世の中じゃなくないですか、アドバイスで旧社会人と新社会人が交流するみたいなものはもうないでしょ、そういうコミュニケーションに価値がないでしょと漠然と思っていて、もっと言えば社会に出るな労働をやめろベーシックインカムを要求してお前らの労働を仕事に昇華せよと思ってるわけなんだよね、そう結論すると新社会人へのアドバイスは社会を脱出しろになってしまう。今年の春は社会人にとってはどうか知らないが人体にとってはキツいようで春バテなどという謎の造語が出てきていた、それは一体なんなのかと考えてみたがおくすり業界みたいなのが商品を売るための悪い鉤爪なんじゃないのか。だって春バテと五月病ってほぼ見分けつかないでしょ。五月じゃなきゃ五月病じゃないというわけでもないし、単に名前を変えてキャッチーにしていっぱいおくすりやグッズを売ろうという目論見なんでしょ。大人は汚い。社会人になるとはこういうことだ。今すぐ社会を脱出しろ。
今日は街の方へ出かけた。ガレージに行ったら再びおいしそうな本が大量入荷していたので、それでも歯を食いしばって厳選して厳選して、文庫本と新書を六冊購入した。多いが全部文庫サイズだったので安かった、いやそういう問題ではない、置き場所がねえんだよ。そのあと魔界図書館にこもっておとついの読み込み分を中心に異世界の書を抜き書きした。帰ってきてしばらく立ってから買ってきた本六冊をフキフキしましたね。そのあとは再びベーシックインカムに思考を戻して、履歴書の理不尽さってやつを前に、なーに、ベーシックインカムがうまくキマれば企業が逆履歴書を持ってくる世の中になるよ、とこころの中で説教を垂れていた。でも可能性はあるよね、だっておれがベーシックインカムの導入を目指す強い理由のひとつは雇用主と労働者の身分を、見せかけではなく本当に平等にすることだからな。本当に平等になれば労働者が履歴書を持っていくだけではなく、雇用主が自らの逆履歴書とでも呼ぶべきものを持って労働者の元を訪問したりもするようになるでしょ、うまく平等化がキマればね。
セフレこと世界ふれあい街歩きはイタリアのフィレンツェ。二度目かもしくは三度目だな。いやあ、一度行った場所に行くのはなぁ……。街の印象は普通のヨーロッパだな、背の高い集合住宅、狭い道に路駐、加えてクリスマスイルミネーション、雨上がりで濡れた石畳がある。通りに面した小窓からは百年前までワインを販売していたらしく、今もその風情を留めている。しかしそこにいたのは働いてないと落ち着かない老人シェフ、悪人だ……。放射状に伸びる広い道がアメ横みたいになってて、ヨルダン人が「アイム・フロム・サイタマ(わたしはさいたま出身です)」とジョークを言っているのでそこは良かった、その地名は日本じゃ使用禁止なんですよねと教えてあげてほしい。市場ではなく店構えを持つ靴職人の仕事を見に行くと、坊主とヒゲもじゃのペアであり、靴自体もオリジナリティーを主張している。で、ドゥオーモが出てくるんだけど、さすがにここは大量に観光客がいる。歴史コーナーでは古い薬局の話が繰り広げられる。ワニのミイラが天井から吊られていて、昔は薬として用いられたらしい。まあありそうな話ではある。薬局が絵の具を調合していたので画家のサロンになっていたという話もこの話と直接に結びつくんだろう。また現代ではリキュールに用いられているとのこと。その風情のまま十四世紀の修道院を改装した図書館へ向かうが、勉強笑も捗る笑とか言ってて、そうですか〜としか思わなかった。でけえ寺が図書館になっているようなものか。街に戻るとランプレドット(牛の四番目の胃袋)の屋台が出ているが、四番目だと何がいいんだろう。見た目はハンバーガーそっくりで、パンが重要と言っていた。ところで道のアーケードになっている部分に入ると、古そうな木の扉にエグい量の落書きがあってビビる。なんか管理してねえのか? 刑務所が現代アートスペースになった場所に入ったけど、ガラスに反射したスタッフの姿が気になった、撮影の都合上、扉は下の方を掴んで開けるんだな。とかやってたら次はグルメコーナーにトリッパ(牛の二番目の胃袋)が出てきた。こっちの方が聞いたことはあるか。でも味の違いについての説明はなし。しかし、高校生がそんなふってぇステーキ自費で食うわけねーだろ。街に戻るとまたバイク。またですか?? なんで最近バイクばっかり見せるの?? 単なるバイク修理の様子を見せられる。さすがにフィレンツェ感はゼロだ。「何あの車?ルネサンスの街から浮いてない?」つって近付いた車から異常に派手好きなカラフルババアが出てきたけど、どんな車でもルネサンスの街からは浮くということを忘れてはいけない、路駐は邪魔だ。その車はガンの子供たちを乗せる派手なタクシーとのことだが、そのストーリーと相殺できないほど異常な見た目をしているのであんまり穏やかな気持ちになれなかった、ずっと抱いてる犬のぬいぐるみはなんなんだよ。しかも結局普通のオッサンも乗せてたので、ガンの子供たち「も」乗せるタクシーなんだな。寄り道コーナーはチヴィタ・ディ・バーニョレージョ。レンガ感剥き出しの町並みで風情がある。エトルリア人が住んでいた半洞窟住居をレストランに改装、昔はオリーブを絞っていたらしい、できれば民家が見たかったが、これも古民家を見せてもらっているようなものか。と感心していたらもう街の外の畑へ行っちゃう。手作業でオリーブを収穫してるんですね! と感激していたのに、そのあと機械で絞り始めたので、気持ち汲み取れやと思った。しかし、天空の街を探検! て触れ込みだったのにほぼレストランの話だったな。戻って川沿いの橋に向かい、額縁と木工品の店に入る。ここはピノキオだらけで、昔のピノキオ人形なんかも保存しているらしい。そのあとに哀愁あふれる音楽が流れてきたけど、なんのつもりだよ、そんな雰囲気なかっただろ。そして日没。夜のフィレンツェは路駐のせいで交通の状況が最悪。家具職人の箱作り教室に入って、話を聞くとどいつもこいつもエンジニア。エンジニアはとにかく箱を作るらしい。で夜の中心部に戻って終わりだった。うーん、ヨーロッパ、ですね。