ぐ戒

kkshow2009-03-25

  • http://kunstkamera.grusla.com/
    • Grundik Kasyansky / Slava Smelovsky / Nori Jacoby "Live at levontin 18.07.07[KUNS0016]"
    • Grundik Kasyansky / Slava Smelovsky / Igor Krutogolov "Live at Levontin 07.04.2008[KUNS0015]"
    • Slava Smelovsky / Grundik Kasyansky / Danya Sinichkin / Leva Bomstein / Maya Dunietz / Sergey Khanukaev "Live at Hagada Ha Smolit 16.04.2008[KUNS0014]"

音楽について何も書いてないと多分ハゲるのでネットレーベルのことでも書きます。
Kunstkameraというネットレーベル、英語が読めないので詳細は不明だけどもレーベルとして形を持ってる訳ではなくてブログに音源を突っ込んである形式。でタグでまとめるのが最近よくあるアレな感じですけどもこのレーベルはいちいちすべての記事にすべてのアルバムへのリンクを貼ってあるので非常に楽。各々にアートワークが備え付けてあり、視聴もできる。ダウンロード形式はArchive.org経由、ファイルのタイプはflacなのでいちいちでかい。またまれにトラック分けされてる音源があるものの基本的には一時間ぐらいのものが分かれてもなく一時間一個のままで配布されているので聞きやすくするために若干分割する必要があるかもしれない。その際トーン系のドローンはゴミが混ざりやすいので注意が必要。
なぜこのレーベルを一番最初に取り上げたかというと、一番最初とか書いておくと続けるみたいで嫌なので取り消すけれども、それにしても一番最近見たインターネッツレーベルでありかなり好きな内容だからであるわけで、エア録り多めの実験音楽、行き過ぎたフリージャズのように解体した空間的な演奏が大部分を占める。番号で言うとKUNS10-13が無機的インスタレーションとでもいうんでしょうか、後で気が向いたら書くけれども、それ以外の残り、今書こうとしているこれらの作品および過去の作品は有機インスタレーションとでも言うべきもので、散発的で空間的、酷く単純に言うとまとめる気がない音楽。上に上げたのはその最新作の三つで、それぞれにまた色合いが違うのが面白い。例えば一番新しいKUNS0016番はもっとも静かな、微音弱音とわずかな演奏を満ち引きのように交互する作品だし、15番は下敷きにドローンのある持続音を主体としつつも散発的な演奏を加えたような温かみの或作品、14番は子供の声も入ってることからイタズラ的に楽器を振り回してるのか、日本のアルバムで障害者が関与している「音の城/音の海」というCDがあるけれどもそれに半分ほどは類似したような音楽のことを知らないことに始まる暴力的な印象も含むにぎやかな曲調であるし、基本的スタンスは同じだけれども棲み分けが出来てるような、聞いててひとつひとつの実体がうまく区分けできるようないい作品群となっている。これより過去の作品も先程言った無機的なもの以外はすべて同じ方向性を持っており、金取ってもいいぐらい素晴らしい出来となっていて素晴らしい。同じ方向性といえばジャケットもすべて同じ、建物の外観であるという方向性を持っており、中国人のノイズ作家が言っていた「音楽で建物を築きたい」的な枠組みがあるのかもしれない。

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なんとなく頭痛いと意識したら頭が痛いほどには頭が痛いという仮病マインドが浮かび上がっては来るものの仮病を行使して特に休みたいものがあるわけでもない無職だし頭の痛さに振り回されながら生きるのも、フフッ、悪くないなみたいな外人みたいな余裕をかましてたらmp3のタグを付けるだけで新世紀に変わってしまいそうなぐらい時間がかかっていろんなものが縮み上がった。タグを付けるというか分割というか要するに上に紹介した奴を分割したり分割して音が崩れないためには頭から何秒削ればいいのかとかタグはどのように付けようかとか悩んでいたらちっとも前に進まない、ちなみに翌日ぐらいのことになったんだと思うけど頭から大体0.034秒削るとちょうどいいあんばいになることが多いようだということを主にじぶんのために書き残しておく。
お出掛けして、もうこの前後一週間ぐらいはブックオフが大奮発をしてセールの大安売り、意味一緒だな、それをしてくれてるもんで無職である身軽さを利用して毎日ブックオフに行ってる。この日も岩波文庫を買った。岩波文庫は、多分広辞苑を読むという行為に気取り的な優越感を感じていた小学校からの惰性の気品を引きずってるからだと思うけど、岩波文庫を買うというだけでものすごいカタルシスが発生する仕組みになっているのでこの日も貧乏物語とか詩集を買った。貧乏物語いま日記を書いてる時点でまったく読んでないし読みたいけどスーザンの本も読んでないし困る。とりあえず身動き取れなくなったら首が回んなくなるぐらい本読みまくろうと思ってるけどそのようなことはどうもなさそうなのでちょいちょい本を読んでいきたい。ソフィーの世界を挫折したクロカワがそのように申しております。
泡盛むせるのを必死にこらえたら腹筋が大変なことになったけどそういうアクシデントで腹筋が鍛えられたとかそういった逸話はまったくないようです。セーターごと全部腕まくりしたらシルエット的にデヴィ婦人になったけど金が舞い込んできたという逸話もまったくないようです。