ぐ戒

度々通っている安売りの倉庫が閉まっていて代わりにいつも閉まっているギチギチの古書店が久しぶりに開いている感じだったし入り口から本棚が溢れていたのでまずそこから漁っていたら店のひとが出てきて倉庫も開けたからと言われたしせっかくレアな店の方が開いているのにわざわざそっちに行く必要あるのかと考えつつギチギチの古書店に入ってみたら中には越えられない本の山があってなるほどこれで入れないという理由で倉庫の方から回り込めということなんだなと納得してそちらへ向かうとおれが苦労して開けてもらった倉庫なのに知らない奴が濡れ手で粟といわんばかりに真っ先に入ろうとしていたのでおれが先だと飛び込んで貴重な本を物色していたらこれまた知らないおばさんが話しかけてきて待ち合わせに喫茶店を指定したんだけどそれって向かいの店ですかと質問してきたので本選んでるんだけどなと多少イライラしながら向かいの店は潰れましたよと言ってその近くのケーキショップを案内したんだけど店員がケーキ作成に気合を入れ始めたのでおれは熱が冷めてしまい椅子に座ってゆったりしていたらそこへさっきのおばさんがさっきのお礼ですと最新号のジャンプを読ませてきたのでエッくれるんじゃないんだなと思いつつ読んでいたら最近はエッチなまんがが多くて困りますと言ってきたしまあ渋い作品もそれなりにあると思いますがねと返事してたらさっきまで新品だった中国の本がおばさんに買われていてビリビリに破れているばかりか付属CDも剥き出しになっていたしなんとかごまかしていたところおばさんは既にいなくなっていて代わりに三人の息子が来たのでこれが待ち合わせの相手だなと思いあんたらの母親から預かってるよと荷物をそれぞれの手に渡したら肖像画が入ったロケットだけ投げ捨てられたのでムカついていたところ三人兄弟の末弟が悪気はないんですただ肖像画がすごく嫌いなだけなんですと釈明してくる夢を見た。これ最初の店が明らかにガレージだったのでよく覚えている、そして午前十時半の起き抜けの夢だった。同じ十時半には、「アンパイアの存廃や」という逆が聞こえて驚いて目が覚めたんだけど、そっちの方の夢は記憶に残っていなかった。その言葉だけがやけに面白かった記憶がある。いや、面白くはないけどな。夢の中では笑っていた。正午過ぎの起き抜けには、そんなに水の勢いが強いと水にも税金がかかってるってバレちゃうよと警告される夢を見た。全然記憶にない。
今日は夢が長かったので思い出すまで眠いままでいようとしたらずっと眠いままだった、といういつものやつだったので、結局出かけるまではそこそこ眠かった。で早速東南アジアニュースを見に行ったんだけど、またミズオオトカゲとかニシキヘビが捕まえられていて、しかも蛇がきれいに波打ってる写真が撮影されていたので若干興奮してしまった、狙ってやったのかそれとも偶然こうなったのか。そして一時間頃前に能登地震があったらしい、これは眠過ぎたこともあってまったく気付かなかった、目が冴えていたら気付いたんだろうか? そしてなんと色川大吉が死んでいた。色川大吉の社会問題的な本は全然興味なかったけど、岩波ライブラリーみたいなのに入ってた、中公版の日本の歴史作るときの文章は興奮が伝わっていて良かったよ、あれは何回でも褒めてるから死後にももう一度褒めますが。あとは神戸のニュースで草への熱湯ぶっかけによる除草方法が紹介されていたな、これはおれもやってる、お湯沸かすだけでいいので。これよりもコストの低い方法を募集しているとのことだったが、あるのかなあ、お湯をかけるのは環境にも優しいから湯沸かしコストだけだよなあ問題は。あと熱湯なので虫は死ぬ。記事を見ていると六十度でいいと書いてあったのでそれはなるほどと思った、今まで沸かしたてのお湯を注いでいたので。
今日は近所のブックオフポルトガルの本と西太后の薄い本を購入、やまやには何もなかった。ポルトガルの本、人気なさそうだなと考えつつ無視してたらあっさり安売りゾーンに入ってきたので、さすがに安売りなら買うわということになった。帰宅後はファイルを五百個ほど整理してたらすごい時間になっていたので大分焦ってしまった。食後にはなんか政治の話が飛び込んできましたね、最近はそういう時期だからしょうがないのかもしれないが。あらゆる政党が早急にやってほしいことといえばベーシックインカムだが、あと死後著作権保護期間も五十年に戻してほしいんだよね、五十年でも長過ぎるのに七十年とか一体誰のために守っているのか。人権とかだとみんな飛びつくけど、死後著作権保護期間が七十年に延長されたという文化への破壊行為については倫理的な社会も無関心だ、人権と同じぐらい大事だぞ分かってるのか。文化といえば奥能登の芸術祭から盗まれた作品は戻ってきて犯人も見つかったらしいので良かった、珍しいパターンだな。しかし話を戻すが、五十年前に死んだ人間の作品ぐらい好き勝手使わせてくれてもいいだろうという素直な気持ちがあるんですよね、なんでダメなんだよ、遊ばせろや。