ぐ戒

味噌汁にでかいたけのこが入っていたので食べてくれとお願いする夢を見た。おれは本当にたけのこが嫌いだ、あの触感が嫌いなんだよね、同じような理由でブロッコリーとかアスパラガスも嫌いなんだ。今は小さいものならなんとか我慢して食えるようになったが、それでもでかいやつとか刺し身?? みたいなよく分からない概念の、巨大な切り身のままボテッと出すようなものがどうしても無理、多分食ったら吐く。起き抜けには、芸術に目覚めた警官がお絵かきしてる夢を見た。これはまあ覚えてないところをなんとか思い出したので、長机みたいな質素な設備でお絵かきしていたところをはっきりと覚えているが、さすがに前後関係は分からない。
なんか昼起きてパソコン付けてインターネットを漂っていたらネガティブマーケティングがどうこうという話が流れてきた。まあ業界の話は分からんがその中にいる人間がネガティブマーケティングみたいなことはやめろというのは実感として理解できる、たとえば売れたら続刊が出ますとか直接的なこと言うやつとかな。あれも、事実としてはそうなんだが、作家とか作品性を人質に取ってるように見えて切ないんだ。つまりお前らが買わないと作品が死ぬとか、もっと言えば作家が生活できなくなるみたいな、まんがを読む上では真っ先に捨てるイメージであり必要のない現実感なのに、それを突き付けるなんてひどい、みたいな。なんつーの、アイドルの一員になるのもライトノベル書くのも芸術活動なんだが、その芸術活動を経済的な視点から見て達観しちゃうと、確かにそれはそうだね、資本主義だもんね、でもそれだと何食っても味しないじゃんって気持ちになる。経済の視点から見て芸術活動に達観した意見を持つという態度がもし完全に正しいなら人間である意味すらないように思うんだな。おれの考えでは労働は人間が生きるためにしょうがなく行っている苦役であり、芸術はその逆で生活を支える大黒柱という意味からは離れているが人間が生きるためにまさしく必要なものなので。それが融合すると仕事になるんだがそんなにうまくいくことはない、特に経済の呪いが強過ぎて人間はたやすく転倒してしまう。だからベーシックインカムを導入して全部の労働を仕事化しようという主張なワケ。
ところで今日は出かけるつもりがない、なかった、いやないのだが、窓から路面を見下ろしてみるとちょっと道路が乾いてきている。今までは雨が降っていたんだね、それが乾いているということは、音を聞いていたわけではないので気付かなかったが晴れつつあるようだ。ニュースでネパール人が、ネパールではお金を出せば何でも手に入るみたいな強い発言をしているのを目にしてわくわくしていたら雨雲さえほとんど消えてきてしまった。しかし、だからといって出かけるなどという気にはならなかったので、床で本を読むためにも掃除を行うことにした。掃除をするとこころが軽くなるとは思わないが床がきれいになるということは事実なので掃除をするってワケ。それで掃除終了後、床にはいつくばって心中物を読み、一気に七割程度進めて、読み切ってしまった。やっぱりいくら古文だとはいっても、近代でしかも話めいた話だとスピードが出るな。ここで外を確認してみると雨が降った形跡がある。それを見て、やっぱり出かけなくて良かったんだと喜んでから次に読むべき本を考えていた。いや、数学だろ。数学の本も興味を持とうとしているので面白いとは思う。思うんだけど、やっぱり数学的知識が皆無で、公式もいちいち知らないので、読んでも読んでも引っかかってしまい、簡単な本でも読み通すのに一か月や二ヶ月かかるというのがつらいところだ。
こんな天気の悪い日にまた外でヒヨドリが絶叫している、絶叫したい人間を差し置いて……。実際鳥って絶叫してても許されるのでかわいいよね、その代わりすぐ死ぬけど。まあ常日頃から絶叫したいと思っている人間も早く死にそうではある。ところで心中物が意外と早く読めた、ということに気をよくして国立国会図書館デジタルコレクションすなわちデジコで検索していたら心中物脚本全集という、まさしくおれが読むべき本が出てきた。これを読んでもいいんだがアレだな、さすがに一気に全部読むとドンヨリ着てしまうかもしれん。それに、手元にまだ岩波文庫曽根崎心中があるので、明らかにそっちから読んだ方がいいという雰囲気がある、だってそっちは注釈を現代日本語でやっているから。あと、ちょっとバカというか、笑話的な古典もあるので、そっちを読んでも良さそうだ。夜は地元のニュースで牡蠣の特集を放送していたけど、とある親子が、この子もカレーに入れたら牡蠣が食べられるみたい……とか言っていた。いや、無理してまで食わすほどリーズナブルで栄養もある食い物じゃねーだろ、牡蠣って。