ぐ戒

ひとが喋っているときひとんちの庭でブタを遊ばせようとする奴がいたので大声でやめてくださいウチの庭ですよと注意しながら戒めとしてブタを雑につかんで外に出したら飼い主は既に逃げていなくなっていた夢を見た。なぜブタ。別に愛情も感じていないし、近くに飼育しているひともいないし、食ったらうまいぐらいの感覚しかないのだが。あと、古書店の規模がでかくなり本自体は増えているがでかくて高い商品ばかりでほしい古書が少ないしオンデマンド印刷の古書は真っ白過ぎるし唯一百円台の本があるなと見てみたら百十六円とかいう消費税が加算されているにしても中途半端な金額だという夢を見た。これの立地がおそらく十年以上前に潰れた名がまったく売れてない地方の古本屋だったんだけど、未だにあの店が記憶にこびりついているっていうのはすごいな。
起きてインターネットニュースを読んでいたら目撃者がラブライブの絵がペイントされた車が轢き逃げしたと通報したのだと誤解を与えるような見出しが並んでいたのでクリックしてみたら目撃者の老人どもはラブライブだと言っていなかったし結局かわいい車が人間を轢く軽妙さだけが残った。おれはたまに、幼稚園児を送迎するバスが愉快な動物でデコレーションされている様子を見て、あれに轢かれたら二重の意味で傷付きそうだし大して憐れんでももらえなそうだなと考えることがある。それと一緒なのではないか。同じ老人ニュースで言えば、キノコ狩りに出かけた老人が遭難だか滑落をして死んでしまったというニュースがあって、それ自体は悲しいね、キノコが豊作でひとがたくさん死ぬという文面がパワフルだね、おれはかわいそうだと思うけど、などという思いが去来したのだが、その記事に「一般にキノコ採りの入山者は採取に夢中になり道に迷いやすいほか、採りやすい場所を他人に教えない傾向もあり、不明時の発見が遅れやすい」と書いてあったため、老人は本当に汚いと感じてしまった。本当にそんな傾向があると言ってしまっていいのか?
今日は街の方へ出かけて、まず新竪に行ったけど「十五時で閉めます」という張り紙があったので棚にも触らずにUターンした、なぜなら触ってしまうとしっかり見てしまう可能性があるし、仮にそれをしてしまい欲しい商品を見つけてしまうともっと大変なことに、物欲がね、なると理解しているから。それで長い距離を戻ってマンションへ向かい、多少物色したらこないだの古本市の本が別の棚に入っているのを確認した、これはいい発見だ、実際買うかどうかはともかくとして。それでガレージをさんざん徘徊して、こないだ敬遠した政治家の本を一冊購入した。帰宅したらとりあえず掃除を開始して、それは完了、続いてコーヒーを作るという運びになる。時計を見たら、もう十八時半か、やべーじゃんと焦ってしまったんだけど、普通に文字盤を見間違えていた、十七時半と十八時半なんて小学一年生でも見分けられるだろ。そんなこんなでムシャクシャしてきたので勢いでたまっている雑誌五か月分を捨ててきた。めんどくさいでかい雑誌だけ先に捨てて、残りは夕飯後に回すことで効率よく捨てることができた。
夕飯のときに聞いたんだけど、家族のバイト先にいる女の小六の娘が親の携帯盗んで暗証番号突破して暗証番号変えてじぶんのものにした上でユーチューバーデビューしてるらしい、完全にモラルなさそう。こないだ聞いた息子が壁を殴って壊してニコニコみたいな家庭も怖いがというかこのふたつが実は同一家庭の出来事だったらもっと怖いが、それは教育として正しいのだろうか。おれは子供が嫌いなので少なくともそういう目線からの教育にはまったく興味がないのだが、我が家の面白エピソードみたいに話されてしまうとこいつらが世に出たら社会はどうなってしまうんだとビビってしまおうとしたが、既に社会はどうにもならなくなってたんだった。良かった良かった。どうにもならない社会でおれができることといえばストリートビューぐらいなので、石川県の殺人事件の現場をネットを通じて確認しに行くというバカバカしい真似をしていた、そしてひとりで盛り上がって珠洲の方面に向かってしまい、何もないのにひたすら徘徊し続け気付けば大量の時間を浪費してしまっていた。それにしてもド田舎って多目的集会所と寺と神社ばっかりあるな、多目的集会所とかほぼ目的ない人間しか集まらないだろ。