ぐ戒

スライムでタプタプの引き出しがあったからこれをネタにしようと思う芸人が司会の番組が今日から始まる夢を見た。夢はこれだけだったし、全然覚えてない。まあメンタルですね。
なんかレーダーを見るとすごい雨雲。おれの部屋からギリギリ見える山には変な雲がかかってて煙みたいだし、なんか怖いことが起ころうとしてんのかって感じだった。まあダルいとかなんとかに関係なく、天気が悪くてしかも日曜日だから絶対に出かけないんだけどな。そういうわけで揺れ動くメンタルを安定させるため安心ファイルの作成に勤しんでいた。しかしおれが安心ファイルを作成している間にも揉め事がどんどん流れてくるし、インターネットは今日も平和だ。自分自身もそこそこ平和に鳴りつつあったのでインターネットニュースを確認すると、制服の着替えは労働時間かどうかみたいな話をやっていた。欧米のどっかで同じような話を見て認められてた気がしたんだけど、そもそも日本にも判例があるらしい。しかしポータルサイトでニュースを見ていたため、カテゴリーとして「着替えのニュース」という表示が上がってたので笑ってしまった。
あとちょっと古い記事だけど、キットカットいつの間にかシュリンクフレーションやめてたんだ、ドロリッチスタイルだ。ちなみにドロリッチシュリンクフレーションをやめてしまった結果、滅んでしまった。まあキットカットみたいにめちゃくちゃ歴史がある商品が消えるということは考えられないが、いずれにせよストレートに売り上げが落ちたんだろうな。そもそもキットカットは百円前後の割には中身が少ないとものだという印象があったので、そこをさらに減らすとどうなるかということは分かっていたはずなんだが。ところで会社が出したプレスリリースが見事というか、ズルさの極みという意味で見事で、ニュースサイトにはには「20年9月のリニューアルでは「1口サイズで食べやすくなった」一方で、1枚当たりの満足感は「若干低くなっていました」。今回は満足度の向上をねらったとのことだ。」と書かれていた。これはシュリンクフレーションするときの言い訳と戻すときの言い訳がミックスされていて凄まじい。食べやすさと満足感、一切マイナスの情報を出さない、つまり減らしても増やしてもレトリック上、客は満足することになっている。こんなことしてたら信頼失うぞ。あと引きこもりを社会的距離症候群に言い換えましょうというニュースもあった。まあひきこもりは表現自体がアレな上に新型コロナウイルスでじぶんらがそうなったら「おうち時間」とかわけの分からんことを言うようになってしまったし整合性が必要なんだとは思うね。つまり自己都合ってやつでしょう。まあ本当にそうしてくれるなら別にそうしてくれても構わないぐらいの関心しかないが、社会的距離症候群になると絶対的に画数が多いなという感想はある。夜中には本を読む元気ぐらいは戻ってきていたので本を読んだ。意外と小説読めてびっくりしたが、変な小説の方が読めて、率直に貧乏で辛い人生を描いたミャンマーの小説は全然読めてないというのはなんというかすごい話だ。まあおれがノンフィクション嫌いということもあるか。ミャンマーのやつは別にノンフィクションではないが救いのなさはいかにもという感じで、見ていると率直につらい。ミャンマーの貧民の生活が見られるのでそこは面白いのだがそれを上回るぐらいツラいんだよねえ。