ぐ戒

十一時半の起き抜けには、旅先なのに誰も旅館から出かけようとしないのでひとりで出かけてでかい横断歩道を渡りこれまたでかい神社に入ったところでポタポタと雨が落ちてきたのでおいおいいや雨具は持ってきてるけどさあとうんざりしてたら周りの人間は雨具を持ってきてないみたいだったしとりあえずリュックからレインコートを出していたらモタモタしちゃって服が濡れてきたんだけど知らない女が近付いて来て横から傘を差してくれたのでありがとうって言おうとしたらもういなくなっていたし先を急ぐと行き止まりになっている壁に小さなモニターがかかっておりスロットみたいな映像が流れっ放しだったので揃え揃えと念じていると行き止まりのドアから家族が出てきて突然街路樹の根元の土を掘り始めたので何してるのって聞いたらシッ飼っていたインコを殺しちゃったから埋めてると返事されたので死んだんじゃなくて殺したのかと思いつつなんで黙らなきゃならないのと追加で質問したら別の家族が魂がまだ体から離れていないうちに埋めたらダメとか言ってきたからと説明してくれたし確かにあいつなら言いそうだなと思ったので無視していいんじゃないとアドバイスしたがそもそも鳥籠など一度も見たことがなかったしおそらく踏み潰したんだろうから鳥籠ぐらいは使えやと思う夢を見た。よく覚えているけど街の様子が日本じゃないみたいだったな。清潔な西洋って感じだった。
今日は祝日だったから国旗掲揚をしたけど、むちゃむちゃ強風だったので外に出すのは諦めた。最近ずっとこれだな。雨風が強い日が多いというのもあるが、国旗が安物なのでちょっとした風でもへこたれてしまうという理由もある。で、インターネットを確認すると、なんか未だに親ガチャという言葉が流行っているというか、問題化してやいのやいの言われている。ただ「運が悪い」と言うのでなく親ガチャとか言うひとは、人間に対してガチャと言うあたり倫理にあまり興味がなさそうだし、ポリコレとは相性悪そうだなと思っているんだけど、どうなんだろうか。若者がそういう気持ちだみたいな論点とは別の倫理の論点がありそうな気はする。それからインターネットニュースを切って出かける準備を始めたんだけど、乱雑に押し込まれていた日本共産党のビラに「なにより、いのち。」って書いてあったので、へえそうなんだと思った。このスローガン掲げるならベーシックインカムに賛成しないといけないんじゃないの(おそらく労働よりも命が優先という意味だろうから)
今日は超遠くのブックオフと遠くのブックオフに行ったけど何もなかった。しかし安江住吉神社に行ったんですね、そこで大庭悪魔拂というノボリを見た。本殿? の中にご老人が複数いたのでそのひとたちに写真撮っていいスか? と聞いてから見ていたらそのノボリがあったし、どうやって写真に撮影しようかなと考えていたら神主っぽいえらいひとたちが出てきて興味がおありですかと聞いてきた。そこで正直に新聞記事を見たので来ましたと説明したら親切にも色々見せてくれた、悪魔払復活のときの名刺なんかも見せてくれて本当に面白かった。復活というのは綿々と続いてきたものではなくてどうも百万石まつりの前身の尾山まつりのときのお祭り大集合的なイベントで復活を遂げたものらしい。話を聞くと急場しのぎっぽいが、その割には法螺貝とかお面が残っており、保管していた包み紙には右から左に読む古い新聞(満州云々と書かれている)が使われていた。ここだけではなく内灘(地名)なんかにも同じような祭りがあって、そこでは弓の形が違うんだという話だった、そこは風習として残っているんだろうか。ノボリの大庭というのはオオバと読むらしく、「良い場所」という意味があるのではとか、またあるひとは大場町と関係があるのでは、と言っていたとのこと、大場町だとすると随分遠いが、それとも地名変更でもあったかな。「庭」地名が本当にそういう意味で使われていたかも持ってる本のどこかに書いてないかな~という感じだったが、地域性もあるしなあ、などと、帰宅してから考えたものだった。久しぶりに有益な活動をしましたね。