ぐ戒

芸人がおれの部屋にきて演技強めのやり取りをし始めたのでくどいなあと思っていたら勝手に部屋を出ていこうとしたのでこっちも演技してオイちょっと待てよとか言いつつ階段を下りていたらその芸人がおれの家族に会って急に部屋に逃げ帰ったので人見知りかよと言っていたら強がって演技を再開したしそのまま中華街まで歩いて行ったんだけど路面電車が走っていてしかもかなりギリギリですり抜けていて怖かったしこれ以上進むと帰り道を忘れちゃいそうだから先に帰らせてもらう夢を見た。この夢はよく覚えているけど路面電車が通っている中華街とか一度も見たことないというかそもそも中華街に行ったことがない。あと、エレベーターはなるべく使うなと指示しながら階段を駆け下りていたら二十一階が停電していることに気付いたのでエレベーターに乗るならここしかないかという雰囲気になり早く決断しないと追いつかれてしまうと焦る夢を見た。この夢は悪夢だったからかよく覚えてない。多分エレベーターを使わない理由があったはずなんだが。あと、カーテンで仕切られた部屋の向こうにおれの私物のCDがかけられていてズムズムうるさい音楽だから勝手にボリュームを落とされてもいてある程度は仕方ないかなと考えてたんだけどどんどん下げられたのでカーテンの向こうに行ってボリューム戻そうとしたのだが怒られるかなとビクビクしていたら逆にババアにノリノリの感じでこの音楽の詳細を教えてくれと言われたので二千五百円ぐらいで買えるよとメモまで渡してやる夢を見た。これはどこか待合室のような場所だったが、描写が雑すぎてクリーム色の独房みたいだった。あとは、山内の単行本の帯が赤いという夢を見た。誰だっけ? 起き抜けには、人生の妙味それは一度別れることよと太ったおばさんが言っている夢を見た。これはもう声しか覚えてないな。
今日も朝に起こされてもちを食っていた。正月は何度も叩き起こされたりするので予定がめちゃくちゃになるんだが、それ以上に夢がめちゃくちゃになる、しかし、その割には今年はよく覚えている。一度寝て起きてラーメンを食って、それからインターネットのニュースを読む。なんか紅白の視聴率が最低だったらしい。それで何かリベラルのひとたちが、赤と白を女と男で分けているのが原因とか噴き上がってたけど、そんな複雑な何が悪いとかじゃなくて、単なるテレビ離れなのでは。だってそれでノリノリでリベラルっぽくして、視聴率上がらなかったら、絶対にリベラルのせいにならずに、そもそもテレビ離れが、という結論になると思うんだよね。それはリベラルだけじゃなくて保守もそうなんだけど、でかい派閥に所属しているひとたちが間違いを認めたことなんて見たことがない、なぜならでかいから。でかいがゆえに一部のひとが間違いを認めても主流にはならないから。でもこんな話を新年早々したいわけじゃないんだよね。単純にテレビ離れが原因だと思う。あとはストロングゼロも攻撃されていたな。なんで社会を良くするためには何かを潰さなきゃならないと思ってるひとたちが多いんだろ、多様性とかはどこに行ったんだ。しかもこういう話って、ストロングゼロも包丁も使い方次第という古典的な話で終わるやつでしょ。おれは度数高い酒をチビチビ飲むのが好きでグイグイ飲むのはアホで酒にも失礼だと思っているので、悪いストロングゼロの飲み方をする奴だけが悪い。ずっと昔から度数高い酒をチビチビ飲めみたいなこと言っとるからな。舌がビリビリして面白い感覚を長く味わえるので。
今日も一応出かける準備したけど、寒すぎて出かける前にやる気がゼロになってしまった。しかし出かけた。どうせ通り道にあるのでガレージを覗いてみたんだけど、予想通りシャッターが降りており、新春セールみたいなものはやってなかった、今年もやったなかった。多分あの店番のガキどもが成長してもうやりたくないとか言ったんだろう、新竪はギリギリ開いてたので素数の本を一冊購入した。ギリギリというのは午後四時で閉店だと知っていて、かつ到着時間が午後三時五十分だったため。床に男女のガキがベターと座っていてどかなかったのでかなり邪魔くさかった。さっきのガキが成長して云々というの、多分近所の家が徐々に減らしていたクリスマスイルミネーションを今年ついに完全にやめたのもそれっぽいんだよな、人間は何歳になっても電気的に輝いていてほしいんだ、やめるな。
夜もインターネットニュースを読んでいたら、今年に入ってついにガラケーのカレンダーが壊れて想定通りの動きを見せない、つまりバグったとか壊れたとかいうひとたちが出てきたらしい。おれのガラケー(電話としては使えず)はまだ大丈夫なんだけど、来年のカレンダーが出ないのでそこでアウトなのかもしれない。メモと目覚ましが使えればいいのだが目覚ましが怪しいよな。夜は最終回を迎えたオンラインのまんがを読んで悲しい気持ちになっていた。これ雑誌掲載から鳴り物入りでオンラインにブチ込んだんだし、いくらでも連載のさせようはあったのに、なんで単行本四巻ぐらいで終わらせちゃうんだよ? 「ツイッターで大人気!!」みたいな作品も平気で二巻とか三巻で終わらせるの意味が分からん、何がやりたいのか。「ツイッターで大人気の作品を雑誌に持ってくる」っていうの、初期の頃は、それをやることによって作品に商業的に終わりが来てしまうのダルいなとか考えてたんだけど、今は「本当に作家はじぶんだけの意志でそのツイッター連載を始めたのか?」と思っているし、まずツイッター連載時に第一の関門があって、さらにコミックスの売れ行きで第二の関門があるという話なら、作家的には単純に関門が一個増えただけの話で、たいそうツラい話なんじゃないのか?